キーくんは今日もかわいいですか?

ジョンヒョンさんへ会いに行ってきました

12月20日の水曜日、ジョンヒョンさんに会いに行った。
ソウルのアサン病院まで弔問へ行った時の日記。

弔問を決めたのは、翌日の20日まで弔問があるという情報を教えてもらったからだった。

 

https://twitter.com/chongdamdong123/status/942922907193286656ps://twitter.com/chongdamdong123/status/942922907193286656https://twitter.com/chongdamdong123/status/9429229071932866「明日もやってくれるんだったら行く。エアを探す」とツイートしていたら、会ったこともある東方神起からのツイッターのお友達が「私もエア探して行くつもり」と声をかけてくれたので、じゃあ一緒に行こうとなった。この時本当に手に力が入らないくらいの体力だったので、1人ではないことがとっても助かった。
この時間にしようこれにしようと相談し、当日19日26時というか翌日2時発のエアと20日の16時に韓国を発つエアを取り、24時にまた会おう、と仕事中連絡を取り合っていた。

18時定時→一度家へ帰る→準備する→羽田へ向かう→韓国へ

という予定が決定したので、職場から母に『明日韓国へ行って明日帰ってきます』とラインを送った。母は私が相当参っていることをわかっていたので『大丈夫?ちゃんと連絡してね』とだけ返してくれた。

 

19時に職場を出て、家へ帰っている最中も、気を抜くと涙ぴゃっと溢れ出て、我慢のしようがなく、眼鏡とマスクで隠しきれない程だらだらと泣いていた。堪らえようと眉間に力を入れていたけど結局眉毛を八の字にして泣くことになるだけだった。

家へ帰ってきて、シャワーを浴びてから準備をした。みんなからの『韓国はとても寒いと思いますので暖かくして行ってきてください』というリプライと母親からの「寒い程切ないことはない」という言葉の圧により、もっこもこニット+ダウンで向かった。結果めっちゃ暑くて結構汗ばんだりしたけど、みんなの愛だ……と思いながら耐えた。笑える。ありがとう。

 

深夜の羽田へ着いた。ここで初めてみんなからのメッセージを読み始めた。これを読んだことでやっと泣くばかりではない冷静な自分が出てきた。内容はそれぞれ、優しい言葉だけを綴っていたりひたすらに悲しがっていたり、自分とジョンヒョンの出会いや人生や、本当にそれぞれだった。
搭乗までの間に自分の手紙も書いた。自分はこんなことを伝えたいのかという整理になった。手紙を書くのは良い行為だなと思った。ただこんな手紙は書きたくなかった。

乗ってから30分気を失うように寝て、またメッセージの続きを読んだ。韓国へはすぐ着いた。友達があとでツイートしていて知ったが到着は4時8分だった。

ジョンヒョンさんのお誕生日だもの。あ、と思わずにはいられないよね。

 

早朝の空港で2日前の昼ぶりの飯を買った。この時本当にお腹が減らなかった。喉も通らないなんてことが過食人生な私でもあるんだと知った。

道中友達に任せっきりだった。同じ経験をする人が今後いるとは思えないので詳しく書かないけど、仁川空港から蚕室までのリムジンバスへ乗った。蚕室に着いて、病院までは徒歩40分とグーグルマップで表示されていたが、まだ8時にもなっておらず、時間があるから歩こうか、となった。歩道は凍結していてつるっつるで何度か滑った。最初は元気だったが、20分くらい歩いたあたりで私は眠くなってきていて、判断力とかどこかへいってしまっていた。今回の旅行で「寒い・・・」となったのはここで雪道を歩いた時くらいだ。友達がきびきびしていくれてよかった。

途中で、ふたりとも、あ、これはたどり着くの無理だ。と意見が合致し、歩きながら通り過ぎた駅のタクシー乗り場へ戻った。そこからすぐ病院へ向かった。この時はもう着いてしまうのか…とずっとお腹がそわそわしていた。二度と思い出したくもないような気もしたし、絶対忘れないからな……とも思っていたりもした。でもやっぱり忘れたくないのでその時の空を撮った。

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病院の入り口と葬儀場の入り口は違ったみたいだった。「シャイニキムジョンヒョンシ」みたいなことを友達が言ったことで運ちゃんも理解してくれ連れて行ってくれた。

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ここだ。弔問へ行った人の写真を先にツイッターで見ていたので特別に衝撃は受けなかった。あー…ツイッターのとこだ……と思った。全てにおいてツイッターが緩衝材になってくれた。ありがとうツイッター、そしてツイッターで伝えてくれる人たち。

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ただこの写真を見た時、本気で吐き気がした。全身の力が抜けて泡吹きそうと思った。
お年寄りの方々の中にまじった、ジョンヒョンさんの笑顔の写真。私はハングルは読めないが、『김기범』(キムキボム)だけはわかる。メンバーの名前に喪主と書いてあると友達が教えてくれた。

https://twitter.com/nandemokey/status/943293977272315904

全員がお年寄りではなく、スキーウェアとゴーグルをつけた若い女の子もいた。その子はきっとジョンヒョンさんよりも年下だったと思う。命ってなに?なんでここにいるんだろう?とふわふわした。

まだ9時くらいで弔問の開始まで3時間はあった。人は最初100人もいなかったけど、うっすら列のようになっていた。私がトイレへ行ってスーツに着替えている間にスタッフ(おそらく会場側の人ではなかった)から、「あと2時間もあるのになぜ並ぶ並ぶな」というような忠告があったらしい。日本人が理解出来ないでいると、同じ日本人の英語が話せる女の子がそのスタッフと英語でやり取りをして伝えてくれたらしい。私たちは周りにあったカフェやソファに座りながら、人が徐々に増えていく中で、いつ整列が始まるのかを目を光らせて待っていた。飛行機の時間が16時金浦発だったからだ。こんな時までイライラしたくない……という気持ちもあったので、も~!とやきもきし、カフェで大人しく待つ側と列の先頭になんとなくいる側の二手に分かれた。分かれてから3分もせず整列が始まったので、私たちは無事に最初の方に並ぶことが出来た。

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整列開始してから2時間弱は待ったが、イライラしないで済むので私はカフェで座ってた時よりもよっぽどいいと思っていた。この時まであんまりTLをじっくり読むことが出来なかったが、ここはみんな同じ気持ちの人しかいないということがわかりきっていたので、ツイートを読み、イヤホンをし、ガンガンに泣いた。とにかく鼻水が出た。

 

予定より20分ほど早く弔問を始めてくれた。20人くらい?の単位で進んでいったような気がした。繋がっている六畳間×2程の部屋の真ん中に仕切りがあった。右の部屋を経由して左のジョンヒョンさんの祭壇のある部屋に行くのだ。コートを脱いだりしながら泣くしかなかった。本当に泣くしか出来なかった。
タイミングがよく私は2列目にいれて祭壇のど真ん中に立てた。荷物の多い着膨れしたでかい女が真ん中にいて後ろの人はさぞ見づらかったと思う。黙祷は1分や2分ではなかったように思う。長い時間だった。

黙祷の間、みんなのメッセージを伝えないとと思い、それはきっちり伝えた。いざ自分の伝えたいこととなると、輝いていたこと忘れないから とか、支離滅裂にいろんな思いがぶわっと出てきて結局、ばか、大好き、ばか、大好きというようなことしか言えなかった。お花のいい香りがした。みんなのすすり泣く声が響いていた。

https://twitter.com/nandemokey/status/943352473175187456

終わって退室する時にみんなジョンヒョンさんの写真の前を通ってから退室できていた。5分くらいに感じたけどそんな長くなかったかもしれない。出際にお手紙を受け取る方がいたので「お願いします」と言って渡してきた。直接祭壇へ置いたりは出来なかった。ティッシュを1枚もらい部屋を出た。

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みんなわんわん泣いていた。私も今まででいちばん声を出して泣いた。しゃがみこんで泣いていたら友達が頭を撫でてくれた。友達ももちろん泣いていた。みんな誰かと抱き合ったりたたずんでいたりそれぞれが咽び泣き慟哭していたりした。悲しみが増した。葬儀場を離れる時、友達が「みんな大丈夫?本当にこれで最期だよ」と言ったので、「さよならジョンヒョン」と心の中で唱えたけどまるで実感はなかった。みんながこうなることもしっかりわかってた上で死んだんだよな。何を思ってたんだろう?と思った。

 

行くと決めてから、『ジョンヒョンが待ってると思います』『ジョンヒョン近くにいたと思う』といろんな方からリプライで声をかけてもらった。けど、待ってる時も、写真の前に立ってた時も、祈ってる時も、終わってみんなが泣いてた時も、ずっと会いたかった。ジョンヒョンさんいなかった。どこにいるの会いたいとずっと思ってた。

 

先述の英語で仲介してくれた姉妹と同乗して金浦空港へ行くことになっていた。みんなわんわん泣きながらタクシーへ乗り込んだ。金浦空港まで1時間、最初は涙が止まらずしゃくりあげていたが、この帰り道忘れないだろうな……と思いながら気付いたら30分以上寝ていた。目が覚めて、あー…これは葬儀場の帰り道なんだ…と思い消えたい気持ちになった。

13時過ぎには空港へ着き、無事にチェックインも出来、16時の飛行機で帰れることが確定し安心した。ずっと姉妹と、ぼーっとしたり話したりsumで買い物したりして、搭乗までいっしょにいた。自分の名前も言ってないし、相手の名前も聞いてない名もなき姉妹(※名はある)、無事に帰れましたか。
「いつもは飛行機乗る時に無事に着きますようにと思うけど今はなんでもいいやって思っちゃう」というようなことをお姉ちゃんが話した時、わかる……と思った。自分も自転車に乗りながら、轢かれてもまあいいやとか思ったりしていたから。自分の命に対する執着が薄くなるような感じがしていた。みんな感じているのかもと思えた。

 

空港のsumブックストアではSHINeeのもの全て買いたい勢いだったが、そんなになくてある分だけ買ってきた。

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ジョンヒョンさんの大きい缶バッジが最高かわいかったので買った。レジのお姉さんが、おまけでジョンヒョンさんのINSPIREDを選んでくれた。これなに?と聞いたら、INSPIRATIONの時のXマークのシールが貼ってあるスマホを見せてくれた。え~こんな見えるとこに貼ったら泣き続けることになるじゃん。と思い、スマホケースの中に貼ることにした。

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いつでも私の手のひらにあるようにと思って。

 

飛行機の中では、友達と関係のない話しで笑ったりしていた、テニミュは青田買いの場だからクオリティとかじゃないとか。でも、ジョンヒョンさんのにじゅう!ダンスがかわいかった、とか、萌え袖の謎みかんの写真がかわいい、とか、苦しくなかったかな、とか、の話になって、やっぱり突然ぼろぼろ泣き出すという情緒不安定の極みみたいなことをしていた。周りの人たちからしたら気味悪かったと思う。でも本当にひとりでは無理だったので、お互いに話して一緒に泣ける友達がいて本当によかった。ありがとう。

 

友達と分かれてから地元までリムジンバスに乗りながらまた眠った。目が覚めて、なんなんだろこの現実はと思いながらツイッターを開き、みんなからのリプライが優しくて、いいのにもう…となんとなく投げやりな気持ちになっていた。君に会えない世界に置いてかれた私らはどうすればいいんだいっせーのってみんなでいっしょに消えたかったな。と考えながら帰った。

 

行ったからといって、受け入れられたり、前向きになったり、区切りがついたりということはなかった。無理この現実。や、でも行けてよかった。やっぱり無理。行けてよかった。やっぱり無理。を永遠と繰り返すような気持ちになっただけだった。